試される大地、ときどき彩の国

ツイッターのプロフ欄の補足、ときどき日記

年に一度の愛

叫んだほうが禍根を残さない気がしてきた。

物心ついたころから年末大晦日紅白歌合戦で〆てきた。ついでにできるかぎり家族と見ていた(コロナや仕事で駄目だったときはあるけども)。もひとつおまけに物心つく前も母の証言が正しいならテレビの前にはいた(寝てたかもしれんけど)
そんな私は紅白に対するいろんなバッシング、罵詈雑言を聞きながら、SNS時代の今なら見ながらそれらをずーーーーーーーーーーーーっと耐え忍んで好きでい続けた。こちのら生半可な紅白好きとはわけが違う。過激派ガチ勢。(SNSで見かけるたびにブロック、リアル知り合いなら心のデスノートに記載して生きてきた)
よく特定分野の研究者や有識者が偉そうなド素人の意見を見聞きするたび、過去の研究やデータなどを勉強してから物言え(意訳)とおしゃっているのを目にしますが、私も紅白について同じことを言いたい。
2倍速でもかまわないから全部フルで見て、そしてせめて何十回とやっている紅白の各年代のものを5年分見てから言えコラ。
それと価値や扱いはその当時の社会なりなんなりと比較しろ。例えば加山雄三の紅白におけるポジションが20代のときと最近で同じなわけねぇだろダボ。
お年寄りが置いてけぼりとか言ってるガキはその『ついていけないお年寄り』とやらの意見はどこから聞いた?マジョリティがSNSをしてない世代の意見をどこから聞いてる?自分のじーちゃんばーちゃんが言ってたとかアホ抜かしてんじゃねえだろうか。そもそも高齢者の適応力なめすぎじゃない?あの世代はあーだこーだ言いながらその上で見る(どの世代にも一定数入るだろうけど)行動パターンもあるし言葉どおりに受け取って鬼の首取ったかのようになってたらそれはそれはご大層なバカじゃなかろうか。
あと無駄な意識高い系にも言いたいことはあるけども受信料との兼ね合いがややこしいからいいや。紅白ネガキャン連中と同じくただ言いたい放題したいだけなんでね。私も。
こうしてブロック数が年々増えていくし、どこまでもそういう輩がいなくならない(目に入ってしまう)ので毎年まいっねん!年初めが憎悪と嫌悪にまみれる。目に入れないようにけっこうな労力割いてるんだけどねぇ…ほかにすることないのかあいつら。

それってあなたのお気持ちですよねって言葉はオリンピック級のバレーボールのスパイクで相手の顔面にぶち返して行く気概で本年2023年も生きていきたい。
明けましておめでとう。 

IP~サイバー捜査班 LAST_IP

うすらぼんやりと最終回だけ書いていなかった気がしたら気のせいではなかった。

(気のせいだったらよかった)

 

今ちょうど令和版クロサギをやってて佐々木蔵之介を摂取したことで思い出した。推しは脳を活性化させる。

にしてもクロサギ面白いわぁ。ワタクシ何を隠そうテレビ局と大手事務所がコネとマネーパワーを金属バットでフルスイングしたキャスティング大好きで(言いかた)

それでエエもんができたらそれでいいんじゃないですかね(すっとぼけ)

閑話休題

専門家同士の会話は素人(視聴者)がついていけない会話シーンがあって当たり前じゃね?を全力で連続ドラマでやったらこうなるってかんじのドラマだった。書くにあたって久しぶりに録画見たらテンポについていけなかったのは私のせいじゃない。

父と娘の関係性だけと見せかけて実はもう一つの父と息子の話でもあったのは面白かった。最後の方で両方の父親が『娘』『息子』と会話で呼んでいたのも子どもたち(っても年齢的には大人だけど)が報われて良かったのでは。

自分を、そして相手をどう呼ぶかっていうセリフのこだわりがあって専門性のある単語と相まって言葉を丁寧に考えて作られてるんだろうなー。

それはそれとして畳に姿勢よく座る佐々木蔵之介がかっこよすぎてしんどいOL生活の癒しだったので是非続編お願いします。また見ますんで。はい。

 

あとこれ音楽もめちゃめちゃよかった。サントラ欲しい

さよならの向う側

最終回からかなり日が経ったけどネタバレを気にする繊細さは持ち合わせにございません。最近ガチ忙しかった。

 

それはもうボロ泣きしました。特に第2話が話の途中からボロッボロに泣いて、しかも涙を拭く手間を惜しんでそのままの状態で顔面汚さフルスロットルで見てた。

全四話オムニバスドラマとして各話の質の高さはもちろんなんだけど、このドラマがなお良かったのはその各話のバランスだったと思う。

死後『さよならの向う側』で目覚める主人公たち、彼らは24時間以内なら現世で会いたい人に会うことができるがそれはその死を知らない人間に限られるという設定。普通近しい人間にはその死がすぐ知らされてしまうため本当に会いたい人間はその会える範囲外になってしまう。しかし第一話、第二話では『幼すぎて死を理解していない』として息子と『認知症で死を理解していない』として父親とそれぞれ会うことができた。

これで大方の視聴者が『こういう展開なのね』と理解したところで第三話。ところがこの話の主人公はその裏技にあっさり気づき、まったく別の人間として最も会いたい人間に会いに行く。

ストーリーには感動しつつ謎の肩透かしを食らった最終話。前半部の主人公と話す『さよならの向う側』の案内人の体勢と目線がなんかおかしい。そしてふらっと出ていったまま死んだ主人公の死を同居人の彼女は知らず、何故か川辺を捜している。それもそのはず主人公は猫だったのです。まさかそんな隠し玉があったとは。

猫は人より素直なのか彼(オスだった)はすぐに会いたい人に会うことができ、視聴者は人外の来客という驚きもそのままに後半は案内人のエピソードを見ることになる。

実は案内人は死後『さよならの向う側』に来た人間であり、前任者から引き継いで案内人をしている。それは本当に会いたい妻は制約上どうしたって会うことができず、他の会いたい人間を選べないままその空間に残っていたとのこと。

そう。ここまでみんななんだかんだで一番会いたかった人に会えていたのに全話通じて出ていた案内人自身は会えていない。会えていた法則が最後の最後に崩され、最後の最後に案内人の時間と視聴者の時間は連動し、ちょうどそのとき妻が『さよならの向う側』へとやってきて二人は再会する。

おめでとう!二人そろって転生だね!と胸をなでおろしたのもつかの間、案内人は転生への扉をくぐらない。生まれ変わってまた会おうと別れてしまう。私たちの気持ちの持っていき場isどこ?

という穏やかなテンポと演出と見せかけてかなりの見終わった後独特の余韻の残るドラマでした。

そして作品としての全話構成も見事ながら、これは企画力も見事だったと思います。放送時期は番組改編期の隙間を突いていて、この時期どうしても特番などになりがちなところ常に連続ドラマを見たい人間の欲求を満たし、これ自体は30分程度で終わるので忙しい時期にもぴったり。

私は上川達也さん目当てに見始めましたが、役者さん目当て以外にもちょうどいい時期、時間、などのお手頃っぽく見てみた人も多かったのではないかと思います。日本のドラマ界にもこういう仕掛け人がまだまだいるんだなとうれしくなりました。

 

余談ですが、このドラマの後に『5分後に意外な結末』というこちらもオムニバスなドラマをセット抱き合わせ的にやっていたのですが、こちらも企画と各話の構成、あと世にも奇妙な物語タモリさんにあたる先生と生徒が出てきてそのやり取りも面白かったのですが、最後の4話で守りに入ってしまったというか小ぶりな展開になってしまったのが惜しかったかも。最後こそ思いっきり振り切ってほしかった。

個人的なおおすすめは『死神』。後味の悪さが秀逸。

久しぶりに書くとまとまりねぇ

やっぱ映画館で観る映画が良いね。

 

鋼の錬金術師の映画観てきたんですわ。原作はマンガ実写化反対派の発言を生涯絶許宣言してるので一生読むことはないですし、アニメも巻き込み事故的に見ない誓いを立てているのでまったく知らんのですが、面白かったです。

アラフォーは涙腺が凝り固まってるからアレですがアラサーで見てたら泣いてました。

原作知らんので後編どうなるかわからんのですけど、観て思ったのは俳優陣の人選がすべてにおいてうまいなと思いました。

原作のキャラクターに近いかというのではなく(もちろん近づけてる演者さんがほとんどだと思いますが私にそれはわからないので)、そのキャラクターのストーリーにおけるポジションや言動や理念とかを『この人が演じてるからこういうことなのでは?』というもので、前作も多分同じ選び方をしてるんでしょうけど続編ということでかなりよく伝わりました。…寺田心が普通の子どもで終わるわけない気がしている。

ただこれが伝わるのって普段(日本の)ドラマや映画を観てる勢なんですよね。だから前作で大泉洋佐藤隆太だけが絶賛されたのはたまたまその二人だけそれがわかりやすく伝わったからなんでないかと個人的には思ってます。

早く後編というか最終章というか観たいですね。これ観てまた休みの日に映画館行こうっていうモチベが戻ってきました。制作・公開に関わったすべての皆さまありがとう。

 

あの1作目公開時の原作(アニメ)勢のバカにする大喜利、一生許さねぇから。

近況【閲覧注意】

とあるツイートでは心配おかけして申し訳ございません。解決しました…とは言えないところが辛いですが。この文も最後まで暗い。

 

自死したい旨のツイートをするに至った原因は100パー仕事です。ここまで理由がはっきりしてるのに自分でもびっくりです。

あれを送信する前日から感情がコントロールできていなかったのは自覚していたのですが、翌日になり仕事中に限界を迎えました。

私の家は4世帯の玄関が徐風室を共有していて二階の2世帯のために階段があるんですが、ここに5年ほど住んでいて初めて『ああ、あそこにロープかければ首が吊れるわ』と思いました。公園の木で吊られている方もそんな感じだったんですかね。近所の公園は針葉樹が多くさらに下の枝は伐採されていて使えなさそうでした。

その後会社にいろいろ訴えつつ、家では現実逃避できそうな動画や音楽を見まくってました。今回かわいい動物はあまり役に立たなかった気がします。リアルのペットじゃあるまいしこんなとき役に立つわけがない。会社の対応も何か具体的提示があったわけでもなんてもないですし大元の原因がそのままなのにこの惨状が解決するわけないのだ、ロコちゃん。もう令和のヤングにはハム太郎なんて伝わらないのだろうか。

それでも休日になり少し落ち着いたのでゲームをしながら心境を独り言してみました。後から聞いてみたんですが呪詛を音声にしたらあんな感じなのか不穏with不吉feat.罵倒なので消しました。心霊現象否定派の私が残穢の設定にリアリティを感じる日がくるなんて思ってもみない仕上がりでした。

ただ言いたいこと言ってみて多少は落ち着きました。が、明日生きているだろうとは思えても明後日生きているとは思えない状態です。予約購入していた商品は全部予約取り消しました。それで入手できなくてもどうでもいいです。

とは言え、10年ほど前に人生の全てを一人でなんとかすると覚悟を決めた身。今後は直接的に生死にかかわるようなことは鍵垢でひっそり呟いてこちらではあ゛あ゛ーーーーー!!!!!とかそんな感じにしようと思います。多分。

 

今一番何が無意味に思えるかって新型コロナ対策。もちろん苦しいんだろうけど薬のない病気に罹ってしまうことに恐怖を覚えないので、回りの方と医療関係者のためだけに頑張る。