試される大地、ときどき彩の国

ツイッターのプロフ欄の補足、ときどき日記

パラサイトイブ(’97)観た

原作小説にゲームにとコンプリートしてるんじゃなかろうか。

 

書きたい感想は映画についてではなく別のこと。

今観るとバチクソ俳優陣が豪華な上、音楽は久石譲氏なので観てない奴は今すぐ観ろ。多分レンタルしか方法ないけど(鬼)

最後小説では『親』の立場として立ちはだかるところを映画では『夫』としてそうしたのはスタッフロールと合わせて泣ける。どっちも愛してるってことなのかな?(涙)

で。本題。

ひっさしぶりに『邦画』観たなって思いました。

当たり前じゃん、いつも観てんじゃんと思うかもしれないけど、今の日本映画って制作側(キャスト・スタッフ、制作意図含め)に意識的無意識的に関わらず洋画の影響が強く映画に出てるんだろうなって。

いや私が物心ついたあとに公開された映画にそれがないとは言わないし、それこそ白黒映画の時代はそもそも映画とは何かってことを洋画から影響を受けつつ日本の中でも進化発展していったわけだし。

でもなんだろう、インド映画とか観ると思うのは彼らは自分たちの受けた影響をインドという国で作られるものに落とし込んで作ってるというか、そして昔の日本もそうだった気がする。

それがだんだん境界線のようなものがなくなってしまって、今や役者の視線、BGMの入りひとつ取っても洋画っぽい部分がちらちらと見え隠れしてんじゃないかなと。

私がホラー好きなのは恐怖ってものがその地域の思想思考に関連してるから境界線がいまだにより強く残っているからかもしれない。知らんけど(正直宗教色の強いホラーはそこまで強い恐怖を受けない。怖くないわけではないけど)

もちろん今の日本映画もめちゃめちゃ好きだし、どうせ映画館で観るなら日本映画にするけどやっぱり変わっていくところは変わっていくし、すでに変わっちゃってるんだろうなと思うとちょっと寂しい。

 

懐古厨と呼ばれんようお外では気をつけよう。