試される大地、ときどき彩の国

ツイッターのプロフ欄の補足、ときどき日記

レジェバタ昨日観てきた勢いでしか書けない何かがある

誰も見てないからこそ好き勝手書ける幸せ

とは言っても歴史上の人物だし、公開からそこそこ経ってるからそれなりにね?

 

東映70周年記念だけあって大作だったわぁ。今メンタルがギリギリな状況だから楽しめるかなとちょっと心配だったけど全然杞憂ですごい楽しかった。

 

誰も見ないここで書き散らかしたいことは、この映画は完全に行間ならぬ映像の間に思いを馳せて、それに感情を揺さぶられるタイプの映画なので、迫力のあるシーンを直接どーんと見たい人には向いてない。マーベルでも見てればいいんじゃないっすかね(すっとぼけ)そういう奴が事前情報を調べずに観に行って文句言ってたら腹立つ

公式が告知してるとおり、戦国時代の話なのに合戦のシーンがほぼないんすよね、これ。(公式アカウントで言ってることくらい調べろボケが)

怒りはこれくらいにして、この映画はシーンにAがあったとする、場面が変わりBが出てくる。そのBはAを連想させ、それが時間の変化、信長や濃姫の変化そういったものを思い出させて最後には本能寺にたどり着く二人への切ない思いが胸を締めつける

例えば、物語序盤信長が濃姫を高いところから見るシーンがあり、後半同じように見つめるシーンが出てくる。でのそのときの二人の状況は変わりすぎていて哀しい。ただ切ない

これ脚本が細かすぎん?すごいな本当

木村拓哉織田信長を演じるならスタンダートにかっこいい信長にすることもできたはずなのに『うつけもの』としての信長の割と素直な愚直な性格をそもそもの性格として設定して序盤の濃姫のりりしさと信長の朴訥とした感じで恋愛物としてしっかり作った上で心をほんのりさせておいての、あの第六天魔王を名乗りだしたころの木村拓哉の圧倒的迫力。堕天した英雄という言葉でも足りない押しつぶす迫力。そこに先に述べた連想ですよ。恋愛物としてまとまっていた序盤を殺伐とした後半に常に視聴してる側に思い起こさせるその演出。前半がフフッと笑ってしまう場面もあるだけに心の臓を締めつける切なさ。つらい。

その上で最終盤に濃姫が再び信長の中に『うつけもの』としての部分を取り戻させ、その取り戻した木村拓哉の演技がまたいいんだコレが。ああ、あの時の彼が心の中に戻ってきた。もう書いてて思い出し泣きしそう。

私、明智光秀の謀反って映像作品で見るたびに結末を知ってるからかなんだかんだ言ったってこいつバカなことしたよなってほぼほぼ思ってしまって全国の明智光秀さんには申し訳ございません。でもこの木村拓哉の魔王ではなくなった演技が見事すぎて、これは失望からくる謀反を企ててもしょうがない。と初めて妙に納得いたしました。もちろん途中の魔王だったときのやり取りがあってこそだけれども。そこも良かった。

最後の『二人で逃げる夢』ね、賛否両論あるだろうけどもうすぐに夢だとわかるようになってるじゃない?だから幸せな表情しかないシーンなのに悲しい。映像には喜びしかないのに観てる方の涙腺がぐっちゃぐちゃだよ。やばい今も泣きそう。

最後の辞世の言葉を言いよどんだところはもう耐えきれなかった。すべての想いが込められてた。

当分余韻に浸りそうな良い映画でした。ありがとうございました。

 

信長が死んだ後のシーンは一切ないけど音尾琢真演じた豊臣秀吉ならあいつなら、あいつならや(殺)るわ。という渋い演技を音尾琢真がしてたのがなんとなく印象(だからなんだ)